京王電鉄は大雑把に分けて、新宿と八王子・高尾山口を結ぶ京王本線の系統と、渋谷と吉祥寺を結ぶ井の頭線の系統があります。このうち、井の頭線を走る1000系には8パターンのカラーバリエーションかあり、たいへんカラフルです。
一方京王線はというと、緑一色のリバイバルカラーと動物園線のラッピング電車があるくらいで、あとは銀色のボディに京王レッド・京王ブルーと呼ばれる色の帯が入っている電車に統一されています。
デヤ901・902形はご覧のとおり、京王9000系のボディを「ほぼ」そのまま使っています。ただしお客さんを乗せる必要がないため車内には座席が最小限(8席)しかありませんし、側面の行先表示もありません。
見えないところでは、たとえば9000系が走行用の機器を2両に分散させているのに対し、デヤ901・902形は単独でも走れるようになっているため、2両分の走行用の機器を1両にまとめています。当然床下には2両分の機器は納まらないので、一部が車内に置かれていたり、雪が降った際の除雪車として使えるよう台車に雪かき用の板が付いているなど、細かい違いはいろいろあります。
しかしその中で鉄道ファン的にいちばん「おおっ!」となるのは、デヤ902のパンタグラフでしょう。デヤ902はパンタグラフが運転台側についており、9000系では見られない「前パン」になっているのです。
デヤ901・902は毎日運転されているわけではありませんし、運転時刻も公開されているわけではありません。したがってふらりと出かけてみることのできる車両ではありません。
お店や飲食店では『老舗の伝統』が売りのところをしばしば見かけます。大手私鉄はその大部分が100年近い歴史を持つ会社ですので、つまりその会社の伝統やこだわりといったものも、よく見ると存在するのです。
乗客を乗せないデヤ901・902形にしても、京王線の伝統を引き継いでいる部分があります。それは正面の形状です。
デヤ901・902形の正面は京王電鉄の9000系をベースにしていますが、この顔の形にはちょっとした「伝統」があります。それは正面窓の形。運転台・車掌台の窓が側面まで回りこんでいるのがここ最近の京王電車の「伝統」です。
この窓の形をパノラミックウィンドウといい、京王8000系以降の京王電車はみな、パノラミックウィンドウになっています。
8000系をきっかけに起こった京王電鉄のパノラミックウィンドウスタイルは、源流をたどると1963年に登場した5000系に行き当たります。
この電車は当時緑色の電車ばかりだった京王線に、アイボリーホワイトに50mm幅のえんじ色の帯を巻いた軽快な姿でデビュー。また1968年には関東の通勤電車で初めて冷房を搭載するなど、京王線のエポックメイキングと言っても過言ではないインパクトを与えたのでした。
そんな5000系は顔つきもこれまでの京王線の「伝統」を破る顔つきで登場。ほっそりとした貫通扉に側面まで回りこんだパノラミックウィンドウを装備。このスタイリングは鉄道ファンにもたいへん評判となり、スタイリング・システムの両面で高い評価を得て、鉄道友の会が制定する第4回ローレル賞を受賞しました。
この5000系のイメージを受け継いでスタイリングを決めたのが1992年に登場する8000系です。当時の鉄道趣味誌にも『評判のよい5000系のイメージを残し、都会的で、かつ多摩の自然にマッチしたデザインであることを念頭に置いた(鉄道ジャーナル308号)』とあり、5000系のデザインを引き継いだと公式に表明されているのです。
9000系でも同じように5000系を念頭に置いた正面形状がデザインされ、5000系のDNAが引き継がれました。そしてデヤ901・902形の正面は9000系のデザインを流用している、ということは……。
そう、名車5000系のスタイリングをデヤ901・902形も受け継いでいるというわけです。
電車に乗るときは車体のいろいろなところをじっくりと観察してみましょう。同じ鉄道会社の車両であれば、ひとつやふたつ受け継がれている「伝統」が見つかるものです。
なお、デヤ901・902形の源流ともなった5000系は現在も地方私鉄に譲渡されて活躍中。特に山梨県の富士急行と島根県の一畑電車では、京王時代の塗装で活躍している車両もあります。足回りは線路幅の関係からほかの車両のものに取り替えられていますが、当時の京王線電車の面影は十分にしのべます。
また、多摩動物公園駅に隣接する京王れーるランドにはクハ5723が保存されています。